掲示板の言葉
2020年 冬
法語
この世は自分の生きがいを探しにきたことろこの世で仏に遭わねば生きがいもない
作者
飛鳥井昌乘
あじわい
人はある時、思いがけず高い壁すなわち人生苦に出遇い、そのことが自分を深く見つめ直すきっかけとなります。
―この苦しみはどこからきたのか
―この苦しみはいつ終わるのか
―何のために苦しみに出遇わねばならなかったのか
問いは次第に深められ、納得のいく答えに出会いたいと模索し、師を求めます。まさに生きがいを求め、入り口に立った瞬間と言えましょう。
今から、二千五百年前にインドでお生まれになったお釈迦様も、四苦八苦という、思い通りにならない生老病死に悩み、解決の言葉を求めて、出家をなさいました。そして菩提樹の下でさとりを得られました。現実から逃げることなく、全てをありのまま受け止め、認め、あきらかに見て、道理にうなずき、平穏な心に至られました。
お釈迦様は道理(法・真実)とは無常と縁起だと、このキーワードを私たちに残してくださったのです。
無常とは全ては移り変わるということです。そんな中にあって、今を頂いているこのいのち。縁起とは全ては縁によって起こるということです。全てのご縁が整って、今の一息一息を頂いています。この無常と縁起のまことが私を一番深いところで支えてくださっていたのです。これがいのちの意味の発見です。
人間の終の願いを 夫婦におかず
親子におかず 天地におく
― 館山一子 詠 ―